何故リュートは消えたのか?
リュートという楽器は18世紀の半ば頃には殆ど廃れてしまった(そして19世紀末からの古楽復興運動によって復活した)のだけれども、モノの本を読むと何故廃れたのか満足のいく説明が無い。弦の多さと調弦の煩雑さが挙げられる事が多いけど、それじゃあもっと弦の数が多くて、弾いているそばからもう弦が狂い始めるハープ類は如何よ?って思う。そもそも、弦の多さと調弦の不安定さはほぼ間違いなくリュート以上だ。それに加え、ハープ類って(アイリッシュハープやゴシックハープを除いて)楽器も大きいから、バロック期に入る前にとうに消えてしまっても何ら不思議じゃないと思うが、ところがどっこい、今日まで更にデカく重くなりながら生き残っている。こういう楽器があるのだから、リュートは弦が多いとか調弦が煩雑ということを原因とするのは説得力に欠けると思われるが、どうだろうか。
次に、音量の小さいリュートは劇的なものを求め、かつ大規模化していく音楽様式についていけなくなっていった云々というのもよく聞くけど、これも私には?だ。リュートにもキタローネのように凄まじい音量を誇る楽器があるし、ソロ用のリュートにしても19世紀の頭くらいまで使われていたクラヴィコード程は音量は小さくない。少なくとも、一人で弾いたり、少数の聴衆を相手に弾くのであれば必要十分な音量だ。それに劇的とかいう表現にしたって色んな種類があるわけで、喚き騒ぐ事だけが劇的なわけじゃない。沈黙の中に緊張感が満ちているようなものも劇的表現の一種だし、派手にやる事がイコール劇的と勘違いしているのではないだろうかと思わずにはいられない。
他にもギターとの競争に負けたとかいう話もあるけど、これは問題外。今までリュート系の楽器とギター系の楽器は並存してきたのは歴史を見れば分かる通りだし、そのギターも古典派の時代には廃れかけていたと聞く。話はまるで違うが、リュートはギターの祖先とか書いてあるサイトや本を未だに見かける。この二つの楽器は共通したところこそあるが別種の楽器で生まれも育ちも違う。まるでリュートは未熟で(モダーン)ギターはパーフェクトみたいなことを暗に言っているみたいで嫌だ。何とかならないものか・・・。
さて、結局は何が原因でリュートは廃れてしまったのだろう?私の想像だけど、リュート奏者の殆ど多くは宮使い(ヴァイスなど)の身であったか、貴族かそれに準ずるような高い社会的地位を持ったディレッタント(ロジー伯、ヴァイヒェンベルガーなど)であった。リュートはその貴族が没落し、社会のあらゆる分野で市民階級が台頭し始める時期に廃れ始めている。これはリュートがもっぱら一般民衆ではなく貴族たちが享受してきたこと、また民衆と称される人々の嗜好が貴族たちと異なっている事をも示唆する。新しい音楽の担い手は手軽で分かり易いものを好み、また多分に感覚的な人々であった。リュートはヴィオルと同様にあらゆる意味でまこと貴族的な楽器であったが為に見捨てられていったのではなかろうか・・・。尤も、18世紀のフランスは貴族が健在(とはいっても陰りは見え始めていたが)であったのにリュートはあまり弾かれなくなっていたし、ドイツにおいて古典派になっても一定の人気を(一部で)保っていたようだから、これとて全く十分な説明ではない。
一体全体、何がリュートを音楽史の闇に突き落としたのだろう?私の楽器に聞いても彼は涙するだけで何も語らない。
次に、音量の小さいリュートは劇的なものを求め、かつ大規模化していく音楽様式についていけなくなっていった云々というのもよく聞くけど、これも私には?だ。リュートにもキタローネのように凄まじい音量を誇る楽器があるし、ソロ用のリュートにしても19世紀の頭くらいまで使われていたクラヴィコード程は音量は小さくない。少なくとも、一人で弾いたり、少数の聴衆を相手に弾くのであれば必要十分な音量だ。それに劇的とかいう表現にしたって色んな種類があるわけで、喚き騒ぐ事だけが劇的なわけじゃない。沈黙の中に緊張感が満ちているようなものも劇的表現の一種だし、派手にやる事がイコール劇的と勘違いしているのではないだろうかと思わずにはいられない。
他にもギターとの競争に負けたとかいう話もあるけど、これは問題外。今までリュート系の楽器とギター系の楽器は並存してきたのは歴史を見れば分かる通りだし、そのギターも古典派の時代には廃れかけていたと聞く。話はまるで違うが、リュートはギターの祖先とか書いてあるサイトや本を未だに見かける。この二つの楽器は共通したところこそあるが別種の楽器で生まれも育ちも違う。まるでリュートは未熟で(モダーン)ギターはパーフェクトみたいなことを暗に言っているみたいで嫌だ。何とかならないものか・・・。
さて、結局は何が原因でリュートは廃れてしまったのだろう?私の想像だけど、リュート奏者の殆ど多くは宮使い(ヴァイスなど)の身であったか、貴族かそれに準ずるような高い社会的地位を持ったディレッタント(ロジー伯、ヴァイヒェンベルガーなど)であった。リュートはその貴族が没落し、社会のあらゆる分野で市民階級が台頭し始める時期に廃れ始めている。これはリュートがもっぱら一般民衆ではなく貴族たちが享受してきたこと、また民衆と称される人々の嗜好が貴族たちと異なっている事をも示唆する。新しい音楽の担い手は手軽で分かり易いものを好み、また多分に感覚的な人々であった。リュートはヴィオルと同様にあらゆる意味でまこと貴族的な楽器であったが為に見捨てられていったのではなかろうか・・・。尤も、18世紀のフランスは貴族が健在(とはいっても陰りは見え始めていたが)であったのにリュートはあまり弾かれなくなっていたし、ドイツにおいて古典派になっても一定の人気を(一部で)保っていたようだから、これとて全く十分な説明ではない。
一体全体、何がリュートを音楽史の闇に突き落としたのだろう?私の楽器に聞いても彼は涙するだけで何も語らない。
ロジー伯
今日の午前中は今月二回目のレッスンに行って来ました。前回から弾いている三曲のメヌエットのうち、ドイツの写本からの一曲は取敢えずクリア、ヴァイスの二つのメヌエットは来月に持ち越しとなりました。メヌエットIのほうは前半は良く弾けているものの後半はもたれ気味、メヌエットIIは上声部の音が途切れたり、途中に出てくるラの音(1コースのf)から躓きやすいので、そのあたりを注意して練習するようにとの事でした。
それと、今回はロジー伯の曲集を持ち込んで先生に見て貰い、メヌエット(No,31)に挑戦する事になりました。今弾いているヴァイスの曲もメヌエットで相変わらず黒いメヌエット三連星ですね。いつも通り先生がお手本で弾いた後に私も弾きましたが、期待を裏切らずあちこち躓きながらとろとろ何とか音にした感じですorz けど、ロジー伯のメヌエット、もの凄くいい曲です。難易度的には恐らくヴァイスのメヌエットとさほど変わらないはずですが、個人的にはロジー伯のメヌエットの方がより旋律的で魅力的ですね。ヴァイスの「ロジー伯のトンボー」は有名なのに、当の曲を捧げられたロジー伯に冷たい世の中に絶望した!
というか、ロジー伯の曲を弾いてみて初めて「バロックリュートだけ弾いても良いかな、俺・・・」って思うほど感動しましたよ。多分ヴァイスのメヌエット以上、ゴーティエのメサンジョーのトンボーと同じくらいの衝撃じゃあないかしらん?もうヴァイスいいや。
自分で曲を選んでレッスンを受けるようになったりして、いよいよ始まりましたねぇ、いろいろと。
それと、今回はロジー伯の曲集を持ち込んで先生に見て貰い、メヌエット(No,31)に挑戦する事になりました。今弾いているヴァイスの曲もメヌエットで相変わらず
というか、ロジー伯の曲を弾いてみて初めて「バロックリュートだけ弾いても良いかな、俺・・・」って思うほど感動しましたよ。多分ヴァイスのメヌエット以上、ゴーティエのメサンジョーのトンボーと同じくらいの衝撃じゃあないかしらん?もうヴァイスいいや。
自分で曲を選んでレッスンを受けるようになったりして、いよいよ始まりましたねぇ、いろいろと。
CDとか本とか その4
間を置いて引っ張り続ける、これが黒羊クォリティ。件の買い物の続き。
まだまだいくよぉぉ!!! ミコミコナース!

・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ 第1集&第2集
/ルシー・ファン・ダール(Vn)
曲については説明不要の超有名曲(分からない人はここ参照)で、TVのBGMとかにもよく使われていますね。一方、演奏者のダール様については古楽を聴く人でもなければ知らないでしょうからほんのちょっと説明を。古楽のパイオニアでクイケン三兄弟の次男シギスヴァルトに学んだオランダ出身の女流バロック・ヴァイオリン奏者で、リコーダー&バロックフルート奏者のフランス・ブリュッヘンや、師のシギスヴァルト・クイケン達と共に活躍した大ベテランです。ソロのディスクはここ最近になって少しずつリリースされてきましたが、以前はSEONやDHMなどでラ・プティット・バンドや18世紀オーケストラなどのアンサンブルで活動していました。
なので、古楽に親しんでいる人ならば一度ならず二度は耳にしていたはずなのですが、私はどういうわけか名前だけ知っているような状態で、ダール様の演奏を意識的に聴き始めたのは全くつい最近でした。腹を掻っ切って詫びますorz で、その最近のというのがNAXOSからリリースされたバッハのヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ集を二、三年前に聴いたのが切欠で、今までのバロック・ヴァイオリンとは一線を画する表現力に完全にノックアウトされてしまいました。JMPさんが神のように崇拝されるのも全く頷けます。
バッハのヴァイオリン曲はチェロの無伴奏のように「あ〜ダサいな」と思うところが全く無く、どれも(バロック)ヴァイオリンの特性とバッハの匠の技が高次元に融合した曲で、間違いなくドイツ・バロックにおけるヴァイオリンの名曲であると思うのですが、演奏者によって可也曲のディティールが変わるもので、相性が合わない演奏者のものだと問答無用で即DU行きという魔のCDなのです。モダンの演奏はそもそも楽器の音が歯が浮くような耳障りさを感じるのと、鼻につくほどの精神性を嗜好したり、やおら感傷的に過ぎる音作りが気に食わず全滅、バロック・ヴァイオリンでも何故か兄貴が買ったパトリック・ビスミュートのSTIL盤以外は、良く言って素朴、悪く言えば淡白に過ぎて毒にも薬にもならない演奏だったり、細部の表現が雑だったりとかで、こちらもほぼ全滅という有様でした。
しかし、ダール様のバッハは違ったんですよ、これが。チェンバロ付きの時もそうでしたが、フツーのバロックヴァイオリン奏者みたいに無難に纏めているだけだったりとか、過激な表現の余り一本調子だったりとか、そういう不満を感じる所は皆無。曲から自然に音楽が流れ出るように実にしなやかなんですけど、それだけじゃないもの凄い表現力。ソナタ第3番のフーガは凄く内相的で諦念感すら感じてしまうし、パルティータ第3番のガヴォットとロンドは仔犬と戯れる少女のように可愛らしくて何だかゾクゾクしてきます。ロリコンじゃないぞ!曲集の中で最も有名且つ大規模なパルティータ第2番のチャコンナ(シャコンヌ)は、その規模故にバロック・ヴァイオリンでも胃にもたれると感じるのですが、音楽が自然に流れ込んできて包まれて行くような演奏です。けど、全然間延びしないんですよね、これが。10分以上の曲でこんな経験したのは初めてですよ、ほんと。
他の曲についても血涙ちょちょ切れるほどの完成度で、私的にはダール様の演奏さえあれば他の演奏を敢えて聴く必要が無いと断言しても良いです。責任はとりませんが。
ところで、ダール様のソロ・ディスク、NAXOSのバッハとコレッリしか見当たりませんよ?ダール様にはヴィヴァルディやテレマン、ルクレールとかもっと弾いて貰いたいですよ。勿論、出たらフルプライスだろうが廉価盤だろうか買いますよ。
まだまだいくよぉぉ!!! ミコミコナース!

・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ 第1集&第2集
/ルシー・ファン・ダール(Vn)
曲については説明不要の超有名曲(分からない人はここ参照)で、TVのBGMとかにもよく使われていますね。一方、演奏者のダール様については古楽を聴く人でもなければ知らないでしょうからほんのちょっと説明を。古楽のパイオニアでクイケン三兄弟の次男シギスヴァルトに学んだオランダ出身の女流バロック・ヴァイオリン奏者で、リコーダー&バロックフルート奏者のフランス・ブリュッヘンや、師のシギスヴァルト・クイケン達と共に活躍した大ベテランです。ソロのディスクはここ最近になって少しずつリリースされてきましたが、以前はSEONやDHMなどでラ・プティット・バンドや18世紀オーケストラなどのアンサンブルで活動していました。
なので、古楽に親しんでいる人ならば一度ならず二度は耳にしていたはずなのですが、私はどういうわけか名前だけ知っているような状態で、ダール様の演奏を意識的に聴き始めたのは全くつい最近でした。腹を掻っ切って詫びますorz で、その最近のというのがNAXOSからリリースされたバッハのヴァイオリンとチェンバロの為のソナタ集を二、三年前に聴いたのが切欠で、今までのバロック・ヴァイオリンとは一線を画する表現力に完全にノックアウトされてしまいました。JMPさんが神のように崇拝されるのも全く頷けます。
バッハのヴァイオリン曲はチェロの無伴奏のように「あ〜ダサいな」と思うところが全く無く、どれも(バロック)ヴァイオリンの特性とバッハの匠の技が高次元に融合した曲で、間違いなくドイツ・バロックにおけるヴァイオリンの名曲であると思うのですが、演奏者によって可也曲のディティールが変わるもので、相性が合わない演奏者のものだと問答無用で即DU行きという魔のCDなのです。モダンの演奏はそもそも楽器の音が歯が浮くような耳障りさを感じるのと、鼻につくほどの精神性を嗜好したり、やおら感傷的に過ぎる音作りが気に食わず全滅、バロック・ヴァイオリンでも何故か兄貴が買ったパトリック・ビスミュートのSTIL盤以外は、良く言って素朴、悪く言えば淡白に過ぎて毒にも薬にもならない演奏だったり、細部の表現が雑だったりとかで、こちらもほぼ全滅という有様でした。
しかし、ダール様のバッハは違ったんですよ、これが。チェンバロ付きの時もそうでしたが、フツーのバロックヴァイオリン奏者みたいに無難に纏めているだけだったりとか、過激な表現の余り一本調子だったりとか、そういう不満を感じる所は皆無。曲から自然に音楽が流れ出るように実にしなやかなんですけど、それだけじゃないもの凄い表現力。ソナタ第3番のフーガは凄く内相的で諦念感すら感じてしまうし、パルティータ第3番のガヴォットとロンドは仔犬と戯れる少女のように可愛らしくて何だかゾクゾクしてきます。ロリコンじゃないぞ!曲集の中で最も有名且つ大規模なパルティータ第2番のチャコンナ(シャコンヌ)は、その規模故にバロック・ヴァイオリンでも胃にもたれると感じるのですが、音楽が自然に流れ込んできて包まれて行くような演奏です。けど、全然間延びしないんですよね、これが。10分以上の曲でこんな経験したのは初めてですよ、ほんと。
他の曲についても血涙ちょちょ切れるほどの完成度で、私的にはダール様の演奏さえあれば他の演奏を敢えて聴く必要が無いと断言しても良いです。責任はとりませんが。
ところで、ダール様のソロ・ディスク、NAXOSのバッハとコレッリしか見当たりませんよ?ダール様にはヴィヴァルディやテレマン、ルクレールとかもっと弾いて貰いたいですよ。勿論、出たらフルプライスだろうが廉価盤だろうか買いますよ。
小さな協奏曲
古楽というか、19世紀以前のオーケストラやそれに準ずる大型アンサンブルは現在のそれよりずっと規模が小さかったのは周知の通り。ハイドンやモーツァルトのオケだっていまのオケの半分くらいしかないし、ベートーヴェンの時代ですら似たような状況だった。私の専門であるバロック時代に至ってはそれの半分も無いのが普通。弦五部を必要とする作品なんて多くはないだろうし、そもそも楽譜を見てみると「第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、通奏低音」という感じで、明確に弦五部を指定することはあんまり無い。ヴィオラが無いとか、コンバスやヴィオローネは任意でみたいな。
また、オペラやオラトリオみたいなものを除けば云十人で演奏する曲もなく、当時の音楽の担い手が音楽愛好家であることからも分かる通り、また、聴くよりは弾いて愉しむ事がこの時代の音楽受容の主要な部分であったことからも、主流は職業音楽家による大規模なものではなく、愛好家が数人で集まって弾く室内楽的作品、特にトリオ・ソナタやソロ・ソナタとかにある。音楽愛好家が少なく、金がかかるオケを持て囃す現代の某国とは対照的だ。そのせいかどうかは知らないが、トリオ・ソナタにソロを足したような3〜5人くらいの編成の協奏曲というものが少なからずある。分かり易く言うと、紅魔館とか永遠亭とかの連中だけで演奏できる人数だという事。古楽器が弾ければの話だが。
バッハのイタリア協奏曲は一台のチェンバロだけによる立派な協奏曲だし、テレマンにはリコーダーと鍵盤楽器だけの協奏曲がある。ヒンターライトナーやヴァイスのリュート協奏曲はリュートとヴァイオリン、バス(ガンバかチェロ)だけ、マンチーニやバベル、フィオレンツァには二本のヴァイオリンと通奏低音だけの素晴らしいリコーダー協奏曲がある。バロック期協奏曲の立役者であるヴィヴァルディには弦楽合奏を伴わない作品があることをご存知の方もいるだろう。このように、決して特殊なジャンルではないのは何となくお分かりだろう。
また、オペラやオラトリオみたいなものを除けば云十人で演奏する曲もなく、当時の音楽の担い手が音楽愛好家であることからも分かる通り、また、聴くよりは弾いて愉しむ事がこの時代の音楽受容の主要な部分であったことからも、主流は職業音楽家による大規模なものではなく、愛好家が数人で集まって弾く室内楽的作品、特にトリオ・ソナタやソロ・ソナタとかにある。音楽愛好家が少なく、金がかかるオケを持て囃す現代の某国とは対照的だ。そのせいかどうかは知らないが、トリオ・ソナタにソロを足したような3〜5人くらいの編成の協奏曲というものが少なからずある。分かり易く言うと、紅魔館とか永遠亭とかの連中だけで演奏できる人数だという事。古楽器が弾ければの話だが。
バッハのイタリア協奏曲は一台のチェンバロだけによる立派な協奏曲だし、テレマンにはリコーダーと鍵盤楽器だけの協奏曲がある。ヒンターライトナーやヴァイスのリュート協奏曲はリュートとヴァイオリン、バス(ガンバかチェロ)だけ、マンチーニやバベル、フィオレンツァには二本のヴァイオリンと通奏低音だけの素晴らしいリコーダー協奏曲がある。バロック期協奏曲の立役者であるヴィヴァルディには弦楽合奏を伴わない作品があることをご存知の方もいるだろう。このように、決して特殊なジャンルではないのは何となくお分かりだろう。




